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概要

広報えびな 2015年3月1日号

3広報えびな2015年3月1日号災害から自分を守る災害時に助け合う災害から市民を守る本市が過去に体験した自然災害の様子や復旧・復興への道のりは、「海老名市史」や「海老名むかしばなし」などにも残されています。被災からの復興は、本条例の前文でも示しているように、住民自らが行動し(自助)、共に助け合い(共助)、行政が活動すること(公助)、また、これらが連携することで実現するものであり、それは今も昔も変わりありません。このため、本条例では次の「自助・共助・公助」を基本理念として掲げています。市民一人一人が、自分の責任で自分の身を守る●自宅の耐震性確保●家具などの転倒防止措置●災害時の初期対応に必要な用具や食糧など備蓄品の用意●家族との連絡方法や集合場所、避難場所や経路の確認●事業者による従業員などの留め置き地域などでお互いに助け合う●地域の自主防災組織で行う防災訓練などへの積極的な参加●避難所の開設や運営への参加●帰宅困難者の円滑な帰宅支援市民を災害から守るための施策を市が行う●自助・共助による災害対策活動の促進●災害に関する正確な情報収集および迅速な情報発信●市職員の災害対策要員能力育成●国や他自治体などとの連携協力関東大震災では海老名耕地や畑に大小の亀裂が入り、裂けた台地から土砂が噴出、液状化現象が起こった部分もありました。被災した施設の中では小学校の再建が優先的に進められ、学校や神社などの上棟式は復興の象徴として盛大に行われたそうです。江戸期以降、相模川の洪水は数十回におよび、川沿いの地域では床上まで浸水することも多くありました。そのため洪水対策の川かわよけ除普ぶしん請が行われ、護岸工事や堤防修理などに流域の人々が尽力しました。上郷・河原口・社家などに今も残る堤防は、当時の川除普請で作られたものとみられています。富士山の噴火の中で、市域に大きな被害をもたらしたのは江戸期、宝永4(1707)年の噴火です。中野村(当時)で1尺(約30㌢)、本郷村(当時)で2尺(約60㌢)の火山灰が積もったそうです。(参考…海老名市温故館企画展「災害を語り継ぐ」資料・海老名市史4近代資料編・海老名むかしばなし第7集)基本理念は「自助・共助・公助」海老名市域過去の自然災害自助共助公助地震洪水噴火