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概要

広報えびな

3 広報えびな2016年10月15日号① 昭和30年代前半、中野付近を走る相模線最後の蒸気機関車 ②昭和43年頃の相模国分寺跡③昭和40年代の有馬のはるにれ(※)。通称・なんじゃもんじゃ ④昭和34?35年頃の並木橋付近( 個人蔵) ⑤ 昭和45年頃の海老名駅舎 ⑥昭和40年代の瓢箪塚古墳。通称・ひょうたん山※…ニレ科の落葉高木。江戸の御典医、半井驢庵がこの地に構えた屋敷内に植えられたものと伝わる。木の名前が分からなかった村人たちが「なんじゃもんじゃ」と呼ぶようになったといわれている。県指定天然記念物。技に、通称「堀さん一周」というのがありました。厚木ナイロン( 現・アツギ(株))の創業者である堀 禄ろくすけ助氏にちなんだ名前だと思うんですが、厚木ナイロンの方を回って戻ってくる長距離走です。正式名称は思い出せないのですが、懐かしいですね。 当時の相鉄線は単線で、今は直接並木橋につながっている坂も砂利道で、橋までぐるっと回っていかないと行けませんでした(写真④)。 海老名駅の駅舎も今より北側、現在のセブン-イレブンのあたりにありました。大雨が降ると砂利の道がぬかるんで、駅前は大変でしたね。 相鉄の路線バスが駅前から本郷の「居い合あい下した」まで出ていました( 写真⑤ )。駅前には立ち食いそば屋さんや雑貨店がありましたよ。 昭和30年代前半、JR相模線ではまだ蒸気機関車が走っていました。機関車が通るとよく手を振っていましたね( 写真①)。当時は農耕用の牛が道を普通に歩いていました。結婚式も自宅で挙げていたので、ご近所みんなでご馳走を作ったりして、楽しみにしていました。 相模国分寺跡( 写真②)は、今よりも木が多く、草が茂っていました。かつては熊くま野の社しゃという祠ほこらがあったので、近くの人は「おくまもり」と呼んでいました。 周囲には布目の模様が入った瓦がたくさん転がっていて、それで遊んでいました。相模国分寺跡にしても瓢ひさごづか箪塚古墳( 写真⑥)にしても、自分たちには遊び場で、史跡という意識は全くなかったですね。瓢箪塚古墳も、「ひょうたん山」と言っていて、それが古墳で、前方後円墳だということを知ったのは後年になってからでしたね。 なんじゃもんじゃの木( 写真③)にしても、大きな木だな、くらいの印象で、記念碑の台座の上でままごとをしたり、穴に入って遊んだりしていました。その木が県の天然記念物で、半なからい井驢ろ庵あんの屋敷があった場所だとは、大人になってから知りました。日々の暮らし・風景 懐かしのわがまち海老名◆史跡・文化財など◆風景③①④⑤②⑥